抜け穴の井戸や伝説の巨石!上田城の7つの見どころポイント
現在の上田城内の見どころを私の感想をもとに紹介してみたいと思います。
北櫓と南櫓は前回の記事で紹介しましたので、それ以外の見どころを私の独断と偏見、そして真田氏への大いなる思い入れによりポイントごとに紹介してみますのでご了承くださいw
まずは上田城の南側にある駐車場からの高低差。
ここから上田城を見ると崖の上にある事がわかります。
というのも、ここがかつて尼ヶ淵(あまがふち)といわれていた崖で、現在駐車場がある場所は千曲川、もしくは湿地帯だったといわれており、上田城の自然の地形を活かした守りの様子がわかります。
ちなみにこれは昭和34年(1959)頃の写真。逆から見てますね。
現在、駐車場になっている場所は、この頃は畑(もしくは田んぼ?)みたいになっていた事がわかります。
でも高低差はそのまま残っていますね。
上田城の東側に谷みたいな遊歩道があります。
ここは現在、尼ヶ淵散歩道として整備されていますが、かつての上田城二ノ丸の堀跡です。
また昭和3年5月には、上田温電東北線が開通し、昭和47年2月に廃線となるまで市民の足として、この堀跡を電車が走っていたという歴史があります。
現在の上田城正門である東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん)の横の石垣をよく見ると巨石がある事に気が付きます。
これは真田石というもので、初代・上田藩主の真田信之が松代に転封となった時、父である昌幸の形見としてこの真田石を移転させようとしましたが、ビクともせず、とうとう移転することができなかったという伝説があります。
しかし夢をぶち壊すワケじゃないんですが、一説によるとこの石垣が築かれたのは、真田信之が松代に移った後に上田城主となった仙石氏の時だそうで、移転の話は伝説っぽいです。
でも現代みたいにクレーンやトラックなどの重機が無かった時代にこれだけの巨石を人力のみでここに運んだ気合はスゴイですね。
上田城の東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん)を映すライブカメラが有名になっていますが、そのライブカメラがある場所が門の向かいの建物です。
歴史的遺構でもなんでもない、現代のものですが、このライブカメラを意識して映ってみるのもいいですねw
ところで私もカメラに映りながら、スマホでライブカメラ映像をチェックしてみたんですが、判明した事実があります。
それは、カメラの映像はリアルタイムではないということ。
微々たるものですが、少し時間差があるんですよ。
この時間差をあなたもチェックしてみてはいかがでしょうか?
門をくぐってまっすぐ進むと、見えてくるのが真田神社。
もとは松平氏(藤井)を祀ってあった松平神社だったのですが、太平洋戦争後に歴代城主である真田氏と仙石氏も合祀され、上田神社となり、昭和38年に真田神社と改称されました。
社殿横には、かつて武田信玄と真田幸隆が兜をかけたといわれる【兜松】からできた板がありますが、見るべきものがもう一つあります。
それが真田神社の奥にあるこの真田井戸です。
この真田井戸はなんと抜け穴になっており、上田城の北、太郎山麓の砦につながっていたという伝説があります。
第二次上田合戦で上田城が包囲された時、この抜け穴から兵糧を城内に運び込んだり、またこの井戸から徳川軍の背後に出て奇襲を行ったりしたそうです。
まあ、あくまで伝説だと思いますが、ちょっと興味がある史跡のひとつですね。
本丸の東、北、西をぐるっと巻いているのは水堀。
桜の木が植えてあり、桜の時期になると堀の上の桜がキレイな花見スポットですが、よく見ると一部が欠けていることに気が付きます。
↑これですね。
ここだけ作り忘れたのかというと、そうではなく、これは鬼門除けのためにワザと欠けてあるんです。
鬼門とは東北の方位のことで、鬼が出入りする方角といわれて忌み嫌われており、魔よけとして角を無くしたり、寺社を置いたりしていました。
現在、上田市にある海禅寺や真田地区にある山家神社は、上田城の鬼門除けの神社という事がわかっていますが、それだけではなく本丸の土塁の隅にも欠損を作ったのです。
これは真田氏時代から残る遺構で、真田氏の鬼門に対する想いが伝わってきます。
最後のポイントは上田城内にある上田市立博物館。
館内は撮影禁止なので写真はないですが、ここには上田城の歴史や真田氏についての展示物があります。
建物自体も昭和の古き良き時代の建物で、昭和チックばりばりの雰囲気が漂います。
ちなみに有料の北櫓、南櫓に入ると、この上田市立博物館の入館料もセットになるのでお得です。