信綱寺 | 真田信綱と昌輝の墓所
信綱寺(しんこうじ)は戦国武将・真田昌幸の2人の兄・信綱と昌輝、そして信綱の正室である北の菩提寺です。
信綱は真田幸隆の長男として生まれ、幸隆没後の天正二年(1574)に真田家の家督を継ぎましたが、翌年の天正三年(1575)に武田勝頼に従い三河長篠(愛知県新城市)に出陣。
有名な長篠・設楽ヶ原(ながしの・したらがはら)合戦で武田方として織田・徳川連合軍と戦います。
しかし信長軍の鉄砲による攻撃を受け、弟・昌輝と共に亡くなりました。
この時、信綱と昌輝の首級は家臣・白川勘解由兄弟が信州に持ち帰り、信綱寺の桜の下に葬られましたが、江戸時代の享保二年(1717)に信綱寺の移築にともない、墓所も現在の場所に移されたそうです。
信綱寺の門の横に真田氏の墓所への案内看板があるので、これに従って山を登っていきます。
最初、お寺の方に墓の場所を聞いたのですが、この案内板の場所がどうしてもわからず、かなり時間がかかった記憶があります。
↑イメージでいうとこんなカンジですね。
本堂の東北側の山の斜面にあります。
信綱寺は真田信綱の菩提寺なのですが、この周辺の檀家を多く持つお寺なので、本堂を中心に広い範囲で墓所があります。
ありました!
真田氏の墓所として石垣造りになっています。
向かって左から信綱夫人、信綱、昌輝の墓。
案内看板によると、享保二年(1717)の移築の時に信綱夫妻の墓として改築され、近年に昌輝の墓も建立されたそうです。
感想
私は以前、長篠古戦場にある真田兄弟の陣跡といわれる名高田陣所(なこうだじんしょ)という場所に行った事がありますが、真田兄弟は武田軍の右の要として陣を置いていた様です。
つまり重要な場所を任されていたという事がわかります。
戦国時代、武田氏にとって長篠・設楽ヶ原合戦は残念な結果に終わりましたが、今でも現地では連合軍、武田軍の供養が毎年行われています。
真田信綱、昌輝兄弟の墓所である信綱寺は、真田ファンや観光旅行者向けに案内看板が建ったり、観光パンフレットに載っていますが、キホンお寺なので節度を持って訪れたいですね。
あと車で来る際、途中の道が細くなっている場所もあるので、安全運転で訪れましょう。